第4話
1991.10.07
1991年10月7日 ラリー2日(2)

観念して一口のんでみたら、それは紅茶だった。
美味しい! と大きな声で言える、紅茶だった。
砂糖がたっぷり入っていて甘く、どうやって沸かしたのか、かなり熱い!

後に、エジプト人でカイロ大学、日本語学科の学生、アブジリルに知り合った。
彼の家へ招待され、紅茶をご馳走になりながら聞いた話だと、酒を飲んではいけないイスラム教徒の、『酒』だそうだ。
勿論アルコールは入って無い。がただ、なんとラクダの糞で沸かしているそうだ・・・・。  
ゴミに見えたのは、実は紅茶の葉っぱで、底まで飲んだら口の中に入ってきた。
ペッペッペーとやっていると、二人で笑いながらお代りを勧めてきた。
灰色っぽいのは、ラクダの乳が入っているからだろうが、なんとも色合いが悪い。
視覚的にはどう見てもげっそりするが、香り味も良く、本当に美味かったので、つつしみ深くお代わりを頂く。

今度は葉っぱを、口に入れない様に上手に啜る。
ピーナッツのお礼なんだろうが、なんとも親切な人達だ。

今度はエンジンも、すぐにかかってくれた。
別れに二人と握手し「ありがとう」と言うと、「サラーム」という返事が返って来る。
確かサラームとはイスラムの挨拶で、「アラーの神の思し召しを」という意味が含まれる、と遠いテレビでの記憶から思い出す。

クラッチを繋ぎながら「サラーム!」と大声で言い返すと、ヤツらも喜んで、思いっきり手を振りながら「サラーム!」。
これ以来、エジプト人に逢うと必ず、一つ億えの「サラーム!」で挨拶をする習性となる。
まずこれを言うと、恐い顔も必ず笑顔に変わり、身振り手振りでの会話が始まった。

走り始めてすぐ気着く。
暑い所での熱い紅茶。そのカフェインと、たっぷり入った糖分で、すっごく元気が湧いて来ている。

優しく甘美な女性の体の様な、美しいウェーブを持つデューンも、しだいに荒々しく、大きな波へと変わってゆく。
5~10mもあるビッグウェーヴとなり、覆う様に襲ってくる。
そのうち10m以上もあるウェーヴに、すっかり取り囲まれていた。

たやすく登れそうな、なるべく低い波を探して、砂の迷路を右往左往してみるが、低い所はどこにも無い。
意を決し、大波にトライするしかない。
このあたりは平地部分でさえ、タイヤの三分の一は埋まり、ギリギリ走れているサラサラの砂だ。
一担止まってしまうと、平地でさえ、二度と動かなくなる可能性もある。

どこにも、低い波も緩やかな波も無い。
次第に、ここから抜け出せなくなる、絶望的な恐怖感に包まれてくる。

埋まりたくない。
いよいよトライを開始したが、 アクセルを大きく開けても、やはり欲しいだけの助走はついてくれない。
へなへなと波へ向かってしまい、急な斜面の中ほどで、前輪も後輪も深々と埋り、ストップしてしまった。

マシンを下りて、手を放しても立ったままのマシン。
急勾配なのに、必死で後に引っぱっても、びくともしない。

後輪の回りと、エンジン下の砂を手で掻き出し、やっと引っぱり出せた。
スコップなど無くても、砂を掘るのはサラサラでたやすいが、焼けているから手が熱い。

風も無く、ローストになるほど熱いとは言え、ヘルメットもジャケットも脱ぐ訳にも行かない。
服の上からでも肌を焼くほどに、日光が強いからだ。
上着無しじゃあ、ひとたまりも無いだろう。

埋まっては掘る。埋まっては掘る。
息をすれば肺まで熱い。
ヘロヘロになってきた。
この作業をこの炎天下で、何度繰り返したか分らない。

そのうちに作戦を変え、一担後方の波をかけ登りUターン。
助走に利用し、思いっきり勢いをつける。
この方法の三度目のトライで、頂上の手前約5mにたどり着く。
大正解!

すでに傾斜は緩いにも拘わらず、前後輪共に深々と埋れ、ぴくりとも動かない。
顔から火を吹きそうな程、押してみたがやはり動かない。
エンジンの底まで埋まっている。
だめだ、どうしょうもない。

やれる事は全てやってみた。
タイヤのエアも抜き、エンジン下の砂も掘り出してみるが、なを一層、マシンは深く埋れていくばかり。
蟻地獄に捕まり、もがけばもがくほど、奈落の底へ滑り落ちる、蟻になってしまっている。

熱い!肺が焼ける様に熱い・・・。
ジャケットとヘルメットの中を、滝になって汗が流れて行く。
あたりに広がる、天国にも思えるほど美しいデューンは、今は地獄にしか見えない。
目前に広がる、黄金色の眩ゆい光景は、砂漠に来ていると言う、夢の中なのか?それとも 本当の現実なのか?

その判断がつかないほどに、暑さに参っている。 時折意識も薄らぐ。
きっと自分はすでに絶命したか、気を失っているかどちらかで、天国と地獄を彷徨っているんだ。

クッソー!
ハンドルに身体を痛い程ぶっつけ、やけくそでクラッチをミートさせると、エンストしてしまった。
しかし僅かに前に動いた気がした。

これだ!
マシンも身体も壊れるのを覚悟の上で、何十回も身体をハンドルにぶっつけ、クラッチを乱暴につなぐ。
車体に衝撃がかかる。

マシンは1cm、2cmづつ僅かに進んで行く。
死に物狂いで頂上を目指す。
汗が服の中を、川のように流れて行く。
エンジンはオーバーヒートしない様、電動ファンを2個着けてあるが、蒸気が吹き出す寸前だ。
登れる!なんとか脱出することが出来る!

しかし序々に頂上に上がれはしたものの、目前にはさらに大きな山々が、待ち構えているのが見え始める。
あたりは一面の、砂地獄。

この嵐の様な荒波の中で、この中の、たった一つのこの波を越えるだけで、倒れそうなほど体力を消耗するのに。
目の前に、無限に広がる、美しいはずのデューンに、心底恐怖を憶えた。
二度と砂に埋まりたくない、 絶対に!
生きてここを抜け出したい。

気が違ったかの如く、下りで勢いをつける。
冷静な状況判断により、アクセルを多めに開けているはずなのに。
更に右手が勝手にアクセルを全開にする。
なるべく緩やかな登りのラインを目指し、一心不乱駆け上る。

幾つもの、美しくもあり恐ろしくもあるデューンを、次ぎ又次ぎと越えて行く。
1台の車がデューンの頂上に腹をつかえさせ、止まっているのを見つけた。
近づいてみると、三菱のワークス・パジェロで、イタリアで友達になっていた、ドイツ人のビリーの車だ。